荒川
2012年 10月 28日
女房子供を質に入れてでも続けたい趣味といえば、私にとっては散歩なのですが、そもそも居ないだろ、という点を自己憐憫したとしても、さいわいお金も手間もかからずリスクも少ない趣味であるのはありがたいことであります。
けれど、少なくとも二十台、もしくは学生の時分は一味違った。
あてもなくふらふらさまよい歩くのが、私の散歩の欠くべからざる一要素なのですが、近年はそうでもありません。
今日はちょっと気合をいれて長くふらつこう、と思ったとして、それでもある程度方角を決めるし、周辺マップも意識する。どういった道順をたどってどの辺にたどり着こう、ということを、なんとなく考えてしまう。これは、経験の蓄積もありましょうが。
これが若いころは違う。本当に何も決めず歩き出すのです。しかも夜中。
なるべく知らない方へと進むから、余計に迷います。30分くらいで戻るつもりが二時間、三時間かかってようやく「方角がわかる」。
そこから帰るんだから、若いとはいえけっこうヘトヘトになったものです。
まあそれはそれで、今にして思うと純然たる散歩の美学にはやはり背いて、私は別の何かを目的にしていたようでもありますが。
先日は荒川河川敷をふらりと。
浦和の南か西か、人工の貯水池があったりして、そのせいもあってかやったらめったら広々とした流域であります。
多摩川の河川敷をよく歩いてますけど、その2,3倍はありそうだったなあ。
ちょーカッコいい水門。
でかいんですな。近くで見ると、宇宙船の艦橋にしかみえない。
面白い雲。悠然と泳ぐ、竜の横っ腹みたいです。
秋の日は釣瓶落とし。
……で。
ここから後が大変でした。
最近の散歩のパターンで、この日もあらかじめ、ある程度こういう風に歩こう、というつもりがあったのです。
今は亡き地井武男氏に敬意を払い、ひと駅歩いてやろうと。具体的には、荒川を渡って武蔵野線新朝霞の駅まで。
武蔵野線はこのあたりずっと高架でわかりやすいし、線路を目印に歩けば何も難しいことはなかろうと高をくくっておりました。
ところがまず川を渡るのが厳しい。線路づたいに来ると大きく離れて上流か下流にしか、人の通れそうな橋が見当たりません。
やっとのことで、上流の赤い橋にたどりつくと、河川敷の真ん中まで移動しているから、もう一度橋の根元まで戻らないと上がれないときた。
下の二枚の写真は、橋の上からですね。
しかし、難関は渡ったあとでした。道がわからん。ついでに、線路をたどろうにもそっちに道がない。
日はすぐに暮れて真っ暗になります。武蔵野線は確かに高架ですが、運転間隔が首都圏の鉄道にしては長いので、そんなに頻繁に通りがかってくれず、うっかりすると線路を見失う。
バス停やらの表示をたしかめてジグザグに歩いて、どうやら方角はつかめたのですが、すると今度は朝霞の浄水場が、巨大な敷地で立ちふさがります。周辺地図を見つけて確かめるに、迂回しないことには駅に着けないっぽく。
いやはや。ひさしぶりに、さまよってるなあ、と思いましたね。
別に家々のない山の中じゃなし、コンビ二や商店だってある。駅へとつなぐバスもあるわけだから、ピンチでもなんでもないのですけどね。
漠然とした不安と、その不安と共存する長い時間。
たぶんそういうのが、かつての私が求めていた何かだったんでしょう。
そも、ひと駅区間としては遠かった。
武蔵野線はスピードが速いうえ、たしかこの区間は5分と書かれていたから、距離が遠いのはわかりきった話だったんですけどね。
果たしてほんとに経験が蓄積しているのやら。
けれど、少なくとも二十台、もしくは学生の時分は一味違った。
あてもなくふらふらさまよい歩くのが、私の散歩の欠くべからざる一要素なのですが、近年はそうでもありません。
今日はちょっと気合をいれて長くふらつこう、と思ったとして、それでもある程度方角を決めるし、周辺マップも意識する。どういった道順をたどってどの辺にたどり着こう、ということを、なんとなく考えてしまう。これは、経験の蓄積もありましょうが。
これが若いころは違う。本当に何も決めず歩き出すのです。しかも夜中。
なるべく知らない方へと進むから、余計に迷います。30分くらいで戻るつもりが二時間、三時間かかってようやく「方角がわかる」。
そこから帰るんだから、若いとはいえけっこうヘトヘトになったものです。
まあそれはそれで、今にして思うと純然たる散歩の美学にはやはり背いて、私は別の何かを目的にしていたようでもありますが。
先日は荒川河川敷をふらりと。
浦和の南か西か、人工の貯水池があったりして、そのせいもあってかやったらめったら広々とした流域であります。
多摩川の河川敷をよく歩いてますけど、その2,3倍はありそうだったなあ。
ちょーカッコいい水門。
でかいんですな。近くで見ると、宇宙船の艦橋にしかみえない。
面白い雲。悠然と泳ぐ、竜の横っ腹みたいです。
秋の日は釣瓶落とし。
……で。
ここから後が大変でした。
最近の散歩のパターンで、この日もあらかじめ、ある程度こういう風に歩こう、というつもりがあったのです。
今は亡き地井武男氏に敬意を払い、ひと駅歩いてやろうと。具体的には、荒川を渡って武蔵野線新朝霞の駅まで。
武蔵野線はこのあたりずっと高架でわかりやすいし、線路を目印に歩けば何も難しいことはなかろうと高をくくっておりました。
ところがまず川を渡るのが厳しい。線路づたいに来ると大きく離れて上流か下流にしか、人の通れそうな橋が見当たりません。
やっとのことで、上流の赤い橋にたどりつくと、河川敷の真ん中まで移動しているから、もう一度橋の根元まで戻らないと上がれないときた。
下の二枚の写真は、橋の上からですね。
しかし、難関は渡ったあとでした。道がわからん。ついでに、線路をたどろうにもそっちに道がない。
日はすぐに暮れて真っ暗になります。武蔵野線は確かに高架ですが、運転間隔が首都圏の鉄道にしては長いので、そんなに頻繁に通りがかってくれず、うっかりすると線路を見失う。
バス停やらの表示をたしかめてジグザグに歩いて、どうやら方角はつかめたのですが、すると今度は朝霞の浄水場が、巨大な敷地で立ちふさがります。周辺地図を見つけて確かめるに、迂回しないことには駅に着けないっぽく。
いやはや。ひさしぶりに、さまよってるなあ、と思いましたね。
別に家々のない山の中じゃなし、コンビ二や商店だってある。駅へとつなぐバスもあるわけだから、ピンチでもなんでもないのですけどね。
漠然とした不安と、その不安と共存する長い時間。
たぶんそういうのが、かつての私が求めていた何かだったんでしょう。
そも、ひと駅区間としては遠かった。
武蔵野線はスピードが速いうえ、たしかこの区間は5分と書かれていたから、距離が遠いのはわかりきった話だったんですけどね。
果たしてほんとに経験が蓄積しているのやら。
by sarok
| 2012-10-28 12:07
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