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のぼっていく先の

新しい大河の『平清盛』を見る。
うーん。継続して見るべきか判断がつかない。
ということはまだしばらくは見ることになるのでしょうけども。

このたぐいのドラマでいつも思うことですが、歴史の人物に、並行して現代的視点を背負わせるのはどうなのよ、と。
当時のもののふが、己が服にしみついた血の匂いを、ことさら思い悩んだりするものですかね。
しない、とはいえない。己の生き様について、いつの時代も胸に問わない人はそうそう居ますまい。
でもなんというか、彼らが照らし合わせているのが「当時の」日常感覚だったり、倫理観ではないように思えるんだなあ。
ドラマだから、そういう作り方もアリだとは思うのです。見る人が這入り込みやすいしね。
でも、その時代の人にも追い求めていた空というものがある。
年末にやっていた『坂の上の雲』でくりかえし用いられたフレーズですけど、一筋の雲を追いかけてどんどん上っていく。その生き様をこちらもただ見ていたい、私はそう思うのです。
こちらを振り返ってほしくない。これは善か悪か? といちいち目で問いかけてこないでほしいのです。
その生き方は現代的な倫理観では問題があるかもしれない。けれど、土のついたままの生き方をまるごと感じることから、大いに学ぶことがあるような気がするのです。
というより、今の私がただそういうのが見たいというだけかな。探せばあるだろうにね。



もはや年始の習慣? とも化している高尾山詣でに、先日も行ってきました。
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山々のグラデがうつくしい。
年始と書きましたが、最初に行ったのは2月でしたね。そのあとは5月とかも。
ただ、いつ行っても人の多い山なんで、このぐらいの季節がいちばんいい気がするんですな。
真夏はわからないけど、紅葉のシーズンなんて相当なものでしょうけどね。
気軽にいける山を、他にも開拓したいところですが、ちょっと調べてもなかなか難しい。
車があればね。
ところで下山途中、たいていいつも通る裏道が、たいそう荒れていました。
あちこちで木が倒れて道がふさがっているのです。
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こんな感じ。こういう場所が、いくつもあるのです。
写真だとそう大きく見えませんが、私が幹に手をついてようやく跨げるくらいの立派な木です。
そういう木が、根っこを天にむけてひっくり返ったりしているのです。
何度も跨いで、くぐって、ようやく降りてきました。
ちゃんと道の入り口に注意書きもありましたね。なんでしょう、去年の台風の影響だったりするんでしょうか。
でも、そうやって倒れていても、木の肌というのは温かみがあるものなんですね。
枝についた葉はまだ緑で、生きているとも死んでいるともいえない状態なのかなと思うと、いささか不思議な気分でした。
まともに立っていれば届かないだろう幹に触れられるというのも貴重に感じて、ごつごつした表面を、何度も手で撫でてきたのです。
by sarok | 2012-01-18 23:53 | 東方 | Trackback | Comments(0)

そこそこ年季の入ったマリみてスキーの、やるせない日常アレコレ。


by sarok