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パソコン臭

小説ともいえぬ文章の流動体をぐねぐねかき回していて思いましたが、パソコンという家電は難しいですな。
冷蔵庫だの洗濯機だの、テレビや電子レンジなどと比べてね。
たとえば、
「冷蔵庫をあける」
「テレビの野球中継を見る」
「チン、して食べる」
「畳に掃除機をかける」
などといえば、すぐ具体的イメージが浮かびます。しかし、
「パソコンを使う」
「パソコンに向かう」
などと書いてみたところで、そこから想起されるものがいったいどういうものなのか、限定して考えられない。
旧来の家電がひとつないしは二つの役割しか担わないところに、パソコンの役割は使う人次第で異なり、それゆえイメージが分散してしまうのです。
パソコンで仕事している、といってもねえ。ネットを見ているのか計算しているのか、文字を打っているのか絵を描いているのか、はてさて。

だからといいますか、生活感というか体臭が薄いとおもふ。
すでに登場から年月の経ち、生活にとけこんだ家電は電気製品といえども体温がある。
多くの人がそれを使う・日常的に存在する生活空間にいる、という意味で感覚の共有がある。
掃除機。洗濯機、と文字でつかうだけで、無意識のどこかで馴れ馴れしく手を結んでくるものがあります。色気とか食い気とか、生々しいものまで引き出してくれたり。
ではパソコンはどうでしょう。お色気画像を収集してるから生々しい? ……そういうのもあるのか(何
とはいえパソコンもこの一、二年で普及したようなものじゃなし、いいかげん染み付いて鼻をこすりつければわかる匂いのようなものがあるのかもしれません。
もしくは使われ方かも。「電脳」「サイバー」なる表現が創作にて権威を持ち出したころに、パソコンは当然その入り口であり、自然そういった仮想現実だの空間だのを意識させる重要なパーツでありました。
しかし、映画『トロン』で描かれたような仮想現実は、今は逆に懐古的な表現として振り返られています。PCの中で現実と見紛う映像が再生できるようになった現在、そういった直接的な手がかりとして機能しにくくなった、いわば漂流の時代なのかもしれません。


「携帯電話」も相変わらず難しいよね。スマホなのかそうじゃないのか、とか。
使い方も人それぞれ、年代で分けても必ずしも決まってくるわけじゃないし、電車の中で携帯の画面を見ているからといって、その人が具体的に何をしているのか、イメージできない。
かてて加えて、私が良く読む二次は「マリみて」であり、あるいは「東方」であり、どちらも携帯電話が登場しない(に等しい)わけで、現近代の小説も読むけれど、新しくても80年代、90年代までで、ケータイがあって当然、という背景でなかったりするし……。
純粋に現在の創作にももっと触れないといかんなあ、と思う昨今でアリマス。
by sarok | 2011-12-08 10:52 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

そこそこ年季の入ったマリみてスキーの、やるせない日常アレコレ。


by sarok