人気ブログランキング | 話題のタグを見る

映画になった「はやぶさ」

そんなわけで映画『はやぶさ』を観てきたわけです。正式にはもうちょい長い副題つきだった気がするが気にしないっ。
というくらいに事前情報のないまま出かけていったのです。
志音さま、もずるさまにお誘いいただき。
正直とっても見たい! と思っていたわけではなく、ただお二人のチャレンジ・スピリットに刺激されたという一点に根ざして。
「流行りに乗っかっただけの粗製」「『はやぶさ』である必要のないオリジナルストーリーに申し訳程度に元ネタが挿入される」「というかただの恋愛モノじゃん?」
などなど、そういう地雷を踏まされる予感に、顔をあわせた我々は戦々恐々としていました。たぶん。
見てもいないものに随分な態度ですが、いかんせん古傷が痛むわけですよ。「油断するな」とね。

で、結論ですけど、存外によかった。
存外に、なんていらないですわな。いい映画でした、うん。
一言でいうなら「映画になった『はやぶさ』」だなあと。
当たり前じゃん、と言われそうですが、元ネタありきのこういう物語が、物語の体を成して完成を見ることの少なさを思うに、そう簡単なことではないのです。
主人公は一応オリジナルキャラで、彼女を軸とした縦糸は通っているものの、それは最低限です。「物語」として再構築した場合のはやぶさストーリーに、入り込みやすい視点を用意したものでしょう。
元になった探査機「はやぶさ」をめぐる事実、現実に起きたことに、そういったオリジナル要素を加えて、一編の見ごたえのある映画としてのストーリーに組み立てなおす。パズルを組みなおすようなそのやり方に、職人気質なものを感じます。見る側の「ツボ」を心得た上で、過度の思い入れや偏重のないつくり、専門的なやりとりはそのまま流すけれど判りづらい部分は字幕であっさり分からせる、という気取らなさ。
写真ではないのです。絵描きの中で煮詰められ、削られ強調された画なんですね。人の手を経由することできっちり磨かれているのです。
というか、これ堤幸彦作品なんですね。「トリック」や「SPEC」の。
そういうことも知らずに行ったのですが、いわゆるトリック的な「堤演出」は最低限にとどめ、漫画的ともいえる癖のあるキャラ立ても要所に絞り込んであるのも、個人的にいい印象を抱きました。
「はやぶさ」にまつわることで役者が動いたり喋ったりしているだけで嫌、という人には向かないでしょうし、見るまでは私もそういった感情に近いものはどこかに持っていたのですが、「はやぶさ」好きならいよいよ見て得があるなあ、とそういう映画だと思うわけです。
「はやぶさで感動している人を見たい」「感動を共有したい」
そういう体験ができる、とは志音さまの弁ですが、まさにそのとおりだと思います。




ーーーーー
なんだか久しぶりにSSを追加しました。
祥子さまを書くとき、私はずっと抱いている抱負というか、それを書ききることで彼女を表現したいと思っていることがあるのですけれど、これまで上手くいったためしがありません。
今回もまた正直成功したとは思えませんで。
小説を書くのはやっぱ恥ずかしい。未熟なのがホントよく暴露されます。主に私自身に向けて。
でもひさびさにSSリンクを使えて嬉しかった。UP作業も含め、久しぶりすぎて手順がわからなくなっていたけれど。
by sarok | 2011-10-15 16:17 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

そこそこ年季の入ったマリみてスキーの、やるせない日常アレコレ。


by sarok