四畳半東雲蚊帳の内

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エイエンの終わり

いやあ、長い夏だった……と。
なんとなくそう感じておる初秋であります。7月入ってすぐに34とか5度に達して、延々暑かったですからねえ。それが二ヶ月。
冬もそうですが、その暑さ寒さは真っ只中にいると永遠に続くように感じてしまいますよね。
気がつけば蝉ももう鳴かず。秋の虫が鳴きかわしていたりして。
人間の活動は別段さして変わることもありませんけれど、涼しい風が吹くと、硬質に引き締まった静寂の音ともいうべき透明が、高い空の端から端まで貫通してゆくような感触がいたします。
こういう季節は実際、音に敏感となるなあと。風でサッシが揺れたり、高い梢で鳥が鳴いたり。
缶のプルトップをあける「カシュッ」という音。ドアノブに鍵をつっこんで「カキン」と周ったときの振動。
他人の足音、衣擦れ、かばんをあけたり閉めたりする音。
ほかの季節にだって同じようにまわりで響いているはずのそれらが、妙に耳につき始めるのが、この時期なのだなあと。
そんなことを先日ふと思いました。そして振り返ると、炎暑でうだっていた時間は、まるでゆめまぼろしであったかのように、すでに朧なのであります。


……とかなんとか書きつつ、実のところ街を移動する私は、大概ヘッドホンを耳に突っ込んでいるわけで。
筋少再結成アルバム「新人」は、もっと評価されてもいい、と思う。
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by sarok | 2013-09-26 15:27 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

お燐ピック

五輪キター! かあ。
東京開催についても、招致活動にもさほど関心を持っていたと言い難い自分など、にわかの盛り上がりにはちょっと驚き。
でも喜んでる人たちを見るのは、いいものです。
これから7年で、東京はまた変わっていくんでしょうなあ。五輪とは関係なくこの街はつねにどこかで槌音がしているわけで、また、としかいえませんけれども、さすがにこの機会は統一された変革を街の眺めに与えることは間違いないわけで。
それが楽しみでもあり、いささか寂しくもあります。
発展の中心となるであろうベイエリアは、4年前の招致失敗で据え置かれた予定地なども残り、また境界エリア独特の完成されない雑多、整理されない混沌が多く見られる一帯でありました。今回、「お客様」を迎えるにおそらくそういった印象は拭い去られることでありましょう。どこかに属さないような荒涼は、玄関先においておくわけにはいかない。それがなんとなくうすら寂しい、私の予見です。
しかし7年というのは現実的数字なわけで、そのころ自分が東京にいるという保障もないよなあ、とか思ったり。友人が身を固めたりしているかもしれない。「マリア様がみてる・疾風怒濤編」とかはじまってるかもしれない。
ほとんどの国民はなんらかの時間的境界線をそこで意識したと思えるわけで、そういう意味ではオリンピックってのはやはり大したものだ、と思うのです。


むしろ一番テンション上がってるのは60後半~70代の、「56年前」を体験した組なんじゃないでしょうかね。かつての東京オリンピックが、それ自体の牽引力はともかく契機として日本に大きな変化を呼び込んだのは間違いないわけで、それをリアルタイムに感じてきた世代にとってはまさに「俺たちの青春」、よもやもう一度生きている間に拝めるとは……と、リタイアしてフゥヤレヤレ! と落ち着いていたお年寄り勢が少なからず色めきたったのでは、と想像します。
振り込めだの母ちゃんなんとか詐欺だのに引っかかってる場合じゃありません。7年後も是非お元気で観覧していただくべく、各々元気になってほしいところです。

失われるかもしれない風景、ってやつを区切りとして意識して、私もいっそうフラフラ、したいところですね。
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by sarok | 2013-09-10 13:39 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

鉄! 拳! 巨人!

某日、『パシフィック・リム』を観る。

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(気持ち程度のネタバレ回避要員諏訪子様。誰でも思いつく帽子ネタ)


いやあ、この映画はいいね! いいよね!
とまあ、この一言でこの作品についてはだいたい通じ合える気がする。見てない人とは、そもそもその映画について話したりしないわけですしね。
人類を滅ぼさんとする尖兵たる「怪獣」と、それに立ち向かう巨大ロボット・イェーガーのガチバトル。
要約しなくともストーリーとしてはそんなものだと思います。見て、そして感じる、その説明を並列させないと意味がない。
その重さ・質感・粗暴さ繊細さ。なにより鉄、鉄、鉄。
3D表現が映画として持て囃されるようになり、多く映画は遊園地のアトラクション的になった、とどちらかといえば否定的ニュアンスで私はそう思っていましたが、この映画については、ジェットコースターの体験を言葉でしても意味がない――だから見て来い、と薦めたくなります。

もちろん、語れるところはいっぱいあります。鉄巨人について。怪獣について。
監督さんはいくつかの日本のロボットもの、怪獣映画に影響をうけたということで、そういう視点で見ていてもニヤニヤできます。
今回見たのは字幕ですが、吹き替えも相当よかったようで、話題になってますね。
実のところはそういうあたりをつらつら記すつもりだったのですが、いざこうやってキーボードを前にすると、思い浮かぶのは瞬間的場面の圧倒的インパクトなのです。
フラッシュバックのように、ひとつひとつ。
帰ったあとでほうぼうのネットの記事を――某動画の大百科など、やたら充実していましたね――読み漁り、設定など理解して、悦に入る。
そういう過程で、巨人やら怪獣やらのディテールが私の中で噛み合い、落ち着いてくるのです。つまり映画館では、黒雲の中を動く影を見て「あれは何!?」と驚いたにすぎない。
こういう映画体験、こういう原形質の感動というのは久しぶりでした。

核となる刺激、その人の大きな、そして意識しない指針を与える「何か」というのは、大概そういうものだと思います。出会ったときにはなんだかわからない。場合によっては感動がなかったり、むしろ理解できず、反感を抱いたりする。大まかすぎたり、逆に細かかったり、バランスを欠いていたり、説明不足だったり、反モラル的だったり。……商売的には失敗していたり。
ま、『パシフィック・リム』は別にそこまで破天荒ではないし、荒削りでもないし、ある程度成功もしている、はず。
けれど私には、呑みこめない原型的な感覚のぶつかり合いによる火花を抱えて、帰っていく観客が少なからずいるように思えました。その火花はいずれまた、どこかで誰かを滾らせるエネルギーとなるのでしょう。
しかし……一面残念なのは、きっとこの監督さんも「過去の」日本の映画映像によって火花を胸に受けただろうということなのです。それ自体は誇らしいことなのでしょうが、果たして今のこの国の創作現場に、同じようなポテンシャルがあるのだろうかと。クリエーターそれぞれの地下深く、止むことなき衝突をつづける巨大地殻があるとして、それをそのまま取り出せる放恣、良い意味での混乱、安い計算に乗らないカオスが、どれほど残っているのだろうか、とか。
アレコレ考えてしまいました。


そんなことはともかくチェルノがかわいい。もっと活躍して欲しかった……。






先々週は鎌倉へいきました。もずる兄のお招きにあずかり、暑かったり涼しかったりする古い都をうろうろ散策。
良い体験ができました。舌の上でも。
鎌倉はラヴ茶の別の集いでも数年前に訪れ、またそれより以前には両親と周った機会もありまして。
憶えが悪いのでいろいろ記憶が混線しておりますが、それもあってなんだか全般とても懐かしい思いがいたしました。
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by sarok | 2013-09-05 14:17 | イラスト | Trackback | Comments(0)