四畳半東雲蚊帳の内

<   2013年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧

静寂

朝も早くから投票に出かけ、泉谷しげる「教祖ころんだ!」を聴きつつ帰る。この歌は、時代情勢を鑑みても御大、もしかしてお疲れ? と感じるのですが、教祖のくだりは軽快で、痛快であります。
選挙、常ならば遅い時間にこそこそ出かけていくのに、今日は我ながら殊勝な心がけでありますが、なんのことはない、夜更かしして昼夜がほとんど逆転しているだけ。さて寝ないといかん。


しかし数日なんだか過ごしやすい。一度35℃とか体験すると、30前後では「なんだ涼しいじゃん」となるから不思議であります。
そして今夏は蝉が少ない。と思う。7月前半、酷暑と言われてる時分にはまったく鳴き声がせず、その後一週間ぐらいしてから聞こえ始めましたが、甚だボリュームがありません。都心だけの話ならいいのですが。あのスカスカのオーケストラでは、出会いもままなるまいて。
厳しい暑さはかわらず、蝉の声だけがしない。そんな未来もいずれ到来することはあるのでしょうか。鳴き声がしないなあ、と気がついたときの気味悪さは、うまく説明ができません。そんな夏でも続けば、やがて慣れてしまうのでしょうかね。
[PR]
by sarok | 2013-07-21 09:50 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

まだ7月はじめだというのに

いやまったく。アツはナツいでんなあ。

ここ数日のトーキョーの猛暑っぷりは確かに異常。梅雨明け宣言から切れ目なくいきなりだったもので、軍勢整わぬまま懐まで攻め込まれてしまったように首都圏は浮き足立って見えます。
暑さを理由に食欲が減衰することはあまりない性質なので、そこは助かります。知人には炊飯器の蓋を開けるのも嫌、という向きもおりますゆえ。まあ、これだけ暑くてもすぐ腹を冷やす私は、冷たい食べ物飲み物は極力忌避せねばならないのですが……飲食店で出てくる水ってどうして氷が入っているんでしょうね。
冷房もまた苦手ではありますが、こう暑くてはどうしようもないので稼動させます。古いアパートは屋根をフライパンのように炙られ、部屋はそれなりに冷えても頭頂部のあたりに熱が延々とわだかまります。立ち上がると、炎天下のプールみたいにはっきり温度の違う層が出来ているのがわかる。
……ずいぶん泳いだりしてないなあ。
気づかぬうちに発汗もしているようで、塩気のつよいチーズとか、いつもは大して好きでもないのに、妙に美味く感じてしまうことも。夏バテ、気をつけてくださいくれぐれも。
夏はしかし、昔からこうだったかなあ。……夕方に散歩すると、白黒の猫が、家路の途中で力尽きた呑んだくれみたいな格好でべったり、土の上に寝そべっていました。風の通る木の根元の土にくっついているのが涼しいと、知っているようです。土と森とは、知られている以上に、強烈で融通のきかない暑さを中和する力を持っていたのかもしれません。

しかし例年のこととはいえ、私以上にPCがヤバイ。暑さのピークにはやばそうな音でファンが回るので、ちょくちょくお休みモードにしてやらねばなりません。人間には耐えがたきことなれど、考えてみると真冬の室内とくらべて20~30度高い「だけ」のはずですが、機械にとっても大きな差なんでしょうなあ。
[PR]
by sarok | 2013-07-11 12:35 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

ボトルネック

f0071389_1832952.jpg


主に男性の描いたと思しきイラストで、こういう上体をひねってこっちをむいたポーズってよく見ると思うのですが、とどのつまりは、ムネの膨らみも描きたいしお尻も入れたい、そして顔もこちらに向けたいんじゃー、という動機の三点バーストが妥協点を探った結果なのだな、と。
そんなことをふと閃いて、一瞬歴史的発見のように感じたのがハズカシイ。
ま、胸! とかお尻! とかあからさまでなくとも、ここは入れたいと思うスポット、はずせないと感じている要素ってありますよね。それが一枚のイラストを描く上でのモチベーションにつながっている。
どうみても腰を痛めそうなアクロバティックなポーズや、不自然すぎる「カメラ」アングルなどを採ったイラストを見たならば、なんだこれ、と思う前に考えてほしい。
その要素がなかったら、そのイラストは世に生まれ出ることはなかったかもしれないのです。
……いったい何に対しての擁護を書き連ねているのか(笑



米澤穂信『ボトルネック』読了。
苦い、苦いぜ。これまで氏の作品、『犬はどこだ』『さよなら妖精』と読んできましたが、程度や性質の差こそあれ、どれも後味ビターです。カカオ割合が30%なのか60%なのか90%なのかという違いで、基本渋いことには違いない。
この三作に共通することとして、主人公がはじめから小さな諦念を負っている、これまた中身の違いはありますが、何かを諦めて受け入れている、というのがあると思います。そんな自分に対する自己憐憫の情、それが冒頭から拭いがたく、かすかに、あるいは歴然と匂ってくる。
私はどうも、彼ら主人公にするりと感情移入するところがあるのですが、それはその「俺ってかわいそう」的な心象が無理なく自身と重なるからだ、と今作で感じました。もちろん、彼らが達観するにいたるような説得力のある背景など私にはなく、むしろ長年望んで逃げ込んでいる陰であり、その陰すら私の作ったものではないのですけれども。
で、私はこの三作、この順で……というか『ボトルネック』を最新で読めてよかったなと思いました。
『ボトルネック』の主人公は、他の二作よりも濃厚に自己憐憫の気配を漂わせつつ、しかしラストでそれを脱却する。というかせざるを得ない。やらないことは生きないにも等しいという結末での選択を迫られるのです。
人は誰しも、細かな屈折や妥協をかさねていくものと思いますが、もし自分に起因する負の要素を丸ごと洗い直し生き直そうとするなら、こんなに高いハードルを、跳び箱を、壁を、助走なしで飛ばねばならんのか……と。
それを可能にするのは生命力です。そして、本編中終始生命力の感じられない主人公が、最後の最後でちらり滾らせる炎。
解釈の分かれそうなオチですが、私はそれを、彼の自分に対する崖っぷちからの反撃の狼煙と感じ、するとひたすらビターだった後味からふつふつと、舌をほぐすような別の妙味が浮かびあがってくるのです。
甘くはない。でも、何か光が見える。夕暮れなのか朝なのかわからないけれども。
この後味はくせになりそうです。

とかなんとか書いたこととは別に、実家で読んだ『犬はどこだ』同様、他の時間を削って読むくらい没頭してました。なんだろう、文章やストーリーという要素がそこまでがっちり好みに合う、という印象でもないのですが、不思議なものです。
他にもたくさん書かれているようで、機会あらば読んでみたいところです。
[PR]
by sarok | 2013-07-03 18:52 | イラスト | Trackback | Comments(0)