四畳半東雲蚊帳の内

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せーんきょ、せんきょ

目盛りが「円」の物差しでなんでも勘定する、経済効果だのの一辺倒には毎度辟易しますが、日曜日の選挙投票は、これは存外特別の経済効果を生んでいるのかもと。都議会議員選挙の日、ふと思いました。
ゆえあって日曜午後に家を出るもので比較してしまいますが、投票日はあきらかに人出が多い。まあ観光にでも出かけないかぎり、日曜休みのサラリーマン家庭など、くたびれてわざわざ外出しない場合がほとんどでしょうしね。
これが選挙となると頑張って出てみようかという気にもなる。少なくとも動機にはなる。面倒くさがって、もしくは選挙など意味がないと諦めて出てこない人たちへの優越感は生まれる。いいことしている気になる。……実際、そんな流れでもいいと思います。選挙の役割は直接的に政治局面に与える影響だけでなく、「社会」に関わってるぜ参加してるぜー、という一体感を得るためでもあると思いますし。
んでそのささやかな高揚がお財布の紐にも影響する。ちょっといいレストランで食事して帰るのもいいし、夫婦二人とかならお酒メインのちょっとしたお店に行くのもいい。日曜は一部をのぞきそういう店の売り上げは下がるだろうから、少しは追い風になるのではないか。そして大人の権利を行使したという達成感は、お酒や食事の席での舌をさらに軽やかに回してくれるのではないか……。
なんちゃって。
まあ、その達成感は益があるとは思います。子供連れで選挙会場に来て、子供を待たせて投票する姿を見せる。この意義は重要だと思うし、関心をもった子供の質問にドヤ顔であれこれ説明してやる、そういうやりとりが家族に持ち込む風通しというのは、確かにあると思うのです。カップル(同じ選挙区というのは稀でしょうが)とか若夫婦とかもね。ついついお互いのことに終始しがちなところ、社会にはそういう縦の構造があると認識する機会として、やはり重要なんじゃないか。
結論として、もっと選挙をそうやって利用してやればいいんじゃないかと思ったわけです。家族関係とか、地元経済とかのためにね。政治家ばかりに利用させるんじゃ勿体無い。
けれども。投票した候補者や政党をめぐって親子、夫婦でバトルがはじまる危険性もまた看過できない(笑)。たとえ家族でもそのへんはやんわりとね。尊重したいものであります。



気づけばこの雑記もけっこう間があいてしまったな。
『世界の果ての庭』は読了。なんかこういうお話は、騙されるな騙されるな、と妙に構えつつ読もうとしてしまうのですが、騙されちゃっていいのにな、といつも後から思うのです。
で今回はどうだったかといえば、騙されていないつもりでいまだに騙されている気がする。ある程度読めた、と思いながら蜃気楼に見入って満足するようで、でもそれで満足したならいいんじゃないか、と納得した気分なのです。
解説にあるとおり、これは小説というよりは庭なのかもしれません。
小説が本に書かれているとはかぎらないように、文字で書かれた絵画や、音楽も存在するのかもしれない。生きているだけで映画のような人物も存在するかもしれない。
そんな希望を抱く物語、だったのかもしれません。
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by sarok | 2013-06-27 07:00 | 雑記 | Trackback | Comments(0)

絢爛たる鮮烈

書店で『ラヴクラフト全集7』なるものを見かける。
確か、1~6巻は持っているはず(部屋の混濁宇宙にまぎれていますが)で、7巻なんてあったっけ、と思って奥付を確かめると、どうやらこれだけ数年遅れで出版されたみたいですな。
ぱらぱらめくってみる。確かに、読んだことがない気がする。
といいますか冒頭から彼の世界だっ。架空の単語、地名やら神の名前やらを切り出すやいなや、それについての説明をさらに架空の論理でおっぱじめる。読者がついてくるかこないか、一切顧慮している様子がない。
清清しいですなあ。たとえとして失礼だけれど、創作にちょっと興味のある子供がチラシの裏なんかで展開する自分ルール全開・すこしふしぎストーリーを彷彿とさせます。何書いてるの、とたずねれば一所懸命に説明してくれるんだけど、作品世界のルールが独自だからまずそこを把握しないとついていけない。
ラヴクラフトは不安じゃなかったのかなあ、とふと思います。それが彼の強さなのかもしれないけれど、信じる魅力の軽重について……彼の夢見る色鮮やかな異次元宇宙の輝きは、生涯彼を裏切ることはなかったのかなあ、とか。
死後の評価とクトゥルフ神話の広がりと比べればを、生前の彼の作品への評価が十分であったとはいえないのでしょう。ただしまったくの孤独におのれが道をまい進したわけでもなさそう。今資料にあたってるわけでないから適当な覚書ですが、友人や理解者がいたからこそ神話は広がったわけですしね。
あちらの世界、を信奉し没入するだけの空想人なら、仮に評価されずとも構わないと思うのです。けれど彼は作家なのです。空想するだけの人種から、別の意味ではもっとも遠いところにいなければならない。ひたむきであればいいのではなく、自身のひたむきさを観察せねばならない。逃避の小説を書くものは逃避できないのです。
それでいてこう読んでみれば一心不乱なんだから、やはりかの神話は、終生きらめいて彼の暗がりの命脈を生かさず殺さず保ったのでありましょう。


ま、いつか読んでみたい(買ってないんかい
西崎憲『世界の果ての庭』を買ってきました。ひさびさのファンタジーノベル賞作品、楽しみ。
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by sarok | 2013-06-06 15:35 | 雑記 | Trackback | Comments(2)

蜃気楼

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レミリアおじょーさま。

彼女の出演作ではありませんが、東方心綺楼、入手いたしました。萃夢想からの東方スキーとしては、黄昏さんの弾幕アクション、どうにも買わないわけにいかない。
この心綺楼、懸念はひとつ。動くか否か、という点。
これまでの東方ゲームと比べると要求されるスペックが段違いなのです。そもそもオンボードグラフィックは動作対象外。ウチの長閑なノートでは、非常に厳しい。というかほとんど無理ではなかろうか、というのが予測でした。
最悪、動かなければ仕方ないという覚悟。そのうち新しいマシンが買えればいいね、という腹積もりだったのです。
でもって早速やってみました。……うん、重い。激しく重い。
背景画質を最低に、描画を二分の一にして、なんとかストレスなく動かせるようになりました。それでも、スペカやラストワードを使うとスローがかかります。
fps60が基準なのにたまに10台まで落ち込むものね。ギリギリなんでしょうな、いろいろと。
間違いなく対戦はできませんね。……もともとやろうとはしていませんけれども。
にしてもその要求スペック含めて、同人ゲーでこういった水準のものが出てくるってのは大した時代なんだなあ、とあらためて思います。
それに黄昏さんのこのシリーズは、格ゲーとしての快適性、バランス云々よりも、東方世界の設定、キャラクターの能力をシステム的に再解釈する誠実さが楽しい。そこが好きです。
古明地こいしちゃんは無意識で動く妖怪ですが、彼女の能力を再現するための「超反応センス」とは、入力した技がその時点は出ず、相手との戦いの流れでよさげなタイミングで勝手に発動するシステム。それなりに格闘ゲームをやってきた身としては実にぶっ飛んだシロモノです。類例はあるかもしれないけど、思いつかない。んでやってみるとそれが面白いんですな。
こういう挑戦ができるのもいいところですね。今の据え置きゲーはグラフィックやらお金がかかっていて、冒険は難しいですしねえ。


ところで先述のこいしちゃん。
彼女は無意識で行動するから誰にも気づかれず、かの有名な「石ころ帽子」状態なのですが、今回の異変では集まる人気につれて一時的に存在が認知されるに至り、本人もそれを喜んでいる、様子。勝利ポーズで手を振ってアピールしたりしてるしね。
もともと心を読める妖怪だった彼女は、その心をおそれて「目」を閉ざし、結果として意識の外で生きるしかなくなったのです。それでも喜んでいる。本人台詞には「感情なんてない」とありますけどね。
知られたいけど知られたくない。気づいて欲しいけど気づかれたくない。
なんでしょうね。実に根っこのところで、私たちと同じなんだなあ、と思います。
気づいて欲しいアプローチ「だけ」を期待するのは、それは甘すぎる考えだけれど、ままならない有り様を一心に引き受けているみたいで、この少女、なんとも胸苦しくなりますね。


レミリアお嬢様とはまるで関係のない東方のお話でした(笑
にしてもこの雑記。東方に関心ある人なんてほとんど見てないだろうと思うからベラベラ書いてますけども……まあ、たいしたネタバレとも言えますまいな、この程度。
しかしやっと東方タグが機能したな。
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by sarok | 2013-06-01 14:59 | 東方 | Trackback | Comments(0)