四畳半東雲蚊帳の内

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境界

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東方キャラを眺めていると、いわゆる幻想入りしたのは妖怪たちではなく、ロングスカート文化なのではあるまいか、とか思います。
現代ニッポンに、ずろずろと長いスカートをはいて闊歩する余地がないのです。
フレアーなやつとか、パニエでぐわっ! と広げたやつとかね(←よくわかっていない)。
ひろがった裾を含めると二人分の面積になるスカートで、ラッシュ時の電車や、エスカレーターに乗れば、トラブルの元になりかねない。
ただの歩道ですら、そう。
また、足首まであるようなスカートでは、自動ドアだのまたエスカレーターだの、巻き込みそうな場所がいっぱいある。駅の階段とか、前後が詰まってるとフツーにかかとを踏まれます。あれがスカートの裾だった日には。
まあ、ヴェルサイユのなんとかじみた満開スカートはともかく、丈のながーいのを穿いてる人は、いますけどね。ほとんど床掃除をしてるがごとく歩いているのを、たまに見ます。これは男もいるな、長いズボンの腰穿き。
結論としてはです。ミニスカートをはきましょう。
ではなくって、もうちょっとだけパーソナルスペースに余裕のある社会になればいいな、と思うわけなのです。

ファッションは自由なものですけど、基本的には男も女も、上から見た占有面積が、裸のときと大きく差の生じない、邪魔にならない格好を選択しているはずです。
当然といえば当然かもしれません。RPGのラスボスみたいに、背中から羽やら棘やら飛び出していたら、そりゃ迷惑でしょうし、自分が歩きにくいでしょうしね。
また混んでいる中で手足をそろえ、かばんを前に抱えたりするのは、守るべきマナーです。
しかし……あまりにそういった中で慣らされて、自分の生物的「ナワバリ」もまた、服を着た自分の輪郭線からせいぜい数センチ外側まで、というように思い込まされていないでしょうか?
自分の発言や、行動の自由すらもコンパクトな範囲にとどまらせるべき、とか知らずに呪縛をかけていないでしょうか。
そんなことを、たまに思います。
幼いころから縄につながれ、その範囲でしか動けないと思い込んだ犬は、縄をつないだ杭が抜いてあっても、範囲外に出ようとしない、なんて話がありますが。
自分も含めて、無自覚に「ここから出ちゃいけない」「出られない」境界に囲われた人たちが、界面をすれすれにすれ違いながら生きている。
そんな幻想が見えます。たまに。


スカートの話で終始するはずだったのに。
ラフは、鍵山雛さん。厄神様です。
どーもこのところ体調のプチトラブルが多くて、彼女のイラストを描いて厄払いできぬものかとか、ちょっとだけマジに思ったりしていました。
で、ある程度回復したらそれもサボるというね。
申し訳なくて描いてましたが、なんだか楽しかった。
色つきは渋にでもあげようかな。
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by sarok | 2012-09-26 19:12 | イラスト | Trackback | Comments(0)

妖精

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久方ぶりにPUREさんのところのお絵かき掲示板に一枚、投稿したりしてました。
なつかしい。
というほど過去に投稿した経験があるわけではありませんけれど。2~3回?
閲覧だけならしてましたけど、けっこう活気があるんだなあ。

まぶたの上は憧憬のキス、というらしいですが、実際なかなかキスできる場所ではないような気もする。
相手がじっとしてるか、協力してくれないとね。





実家に帰った折に読んだ『犬はどこだ』で味をしめ、同じ米澤穂信の『さよなら妖精』を先日、読了。
だいぶテイストは違いますけれど、『犬~』で感じた新鮮さを、また味わうことができました。
ものすっごく大雑把にいえば、事件の起きない推理もの。
……の、体裁をとる青春の小説です。
またも大雑把にストーリーをのべるなら、とある地方都市に暮らす高校生の前に、ある日遠い異国からやってきた少女があらわれる、という。
しばし時を共有して、その少女は国に帰るのです。いってみればただそれだけの話。
しかし読み終わるころには、身体のどこかがヒリヒリしているのです。あの年頃を通過したなら誰もが持っているだろう、セイシュンの蚯蚓腫れに塩をふりかけられるように。
その読後感についてはある程度想像できるものの、物語の細部についての印象は、読む人の人生、体験によってたぶん異なってくるだろうな、と思えました。
主人公のマイペースぶりは私などは好感を持ちましたが、人によっては機転の利かない、愚かしいものとうつるかもしれない。
もう一人のヒロインというべき女友達のスタンスは、同情したくなる人もいれば、ただ苛立たしさしか感じないかもしれない。
意図して、印象がぶれるようにキャラクターをつくっている気もします。突き抜ければもっと記号的に、ストレスなく読める人格にできたかもしれない。でも、ただの想像でしかないけれど、そうしたくなかったのかなと思うのです。単なる、出来のいい小説では届かない領域があると、どこかにそういう信念が通底しているようなのです。
なまじ、大枠としてちゃんとミステリになっているから、余計に浮かび上がるものがあるのかもしれません。
思考としての推理が、事実や関係を整理してくれるから、その内側にあるものを想像しやすいんですよね。

事件がない、と書いたけれど、そこは少し違うかもしれない。
探偵が推理を終え、謎が解決しても、より大きな問いかけが残るというのは、良質のミステリの要素かと思いますが、この小説が突きつけてくる「普遍的な」問いもまた、読後まだ自分がひとつの事件の渦中にいるかのように残響するのです。
「なぜ世界は、こうなのか?」
若かろうがそうでなかろうが、考えないわけにはいかないテーマですね。
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by sarok | 2012-09-18 11:19 | イラスト | Trackback | Comments(0)

プロメテ計画

一真さまにお誘いいただいて、見てまいりました『プロメテウス』。
この映画、ろくに事前情報を収集していなかったんですが、CMなど見るうちわかったのは、『エイリアン』の前日譚的なところが出発点らしい、と。
リドリー・スコットの奔放なアレンジがくわえられ、『エイリアン』とはまた別物の機軸を獲得し、それはコピーにもあらわれている、と。いわく、「人類はどこから来たのか……」何者か、どこへ行くのか、まで続いたかどうか記憶が定かではありませんが、そこで私は、『惑星ソラリス』みたいなテツガクを見せられたら、どうしましょう! などと入場前に冗談まじりに危ぶんでみせたのです。
んで、鑑賞したのちに顔を見合わせたわれわれは、口々におんなじ言葉を発したわけです。
「これ、『エイリアン』じゃん」


まあ、エイリアンでした。ほかの何ものでもない。
「これは……エイリアンだな。すごくエイリアンだといってもいい」
と、思わずゴローちゃん化するくらいには、十分に。
とかなんとか言ってますが、私は過去のエイリアンシリーズをきちんと網羅しているわけではありません。ところどころ、断片的に見てきているだけ。
理由は単純、コワい映画苦手だから。
高校時代、何だったか忘れましたけどクラスメートの家で映画のビデオを見て、「じゃあ次これね」と『13日の金曜日』が出てきたとたんに、
「じゃ、私、帰るから」
と尻尾を巻いたのは青春の思い出です。少しは頑張ってみせようとか、格好つけようなんて発想は微塵もありません。
だから私の意見ははなはだ客観性を欠くわけですが、まあシリーズを知っていると思しき方々も同じ感想でしたから、やっぱりあれはどうしようもなくエイリアンだったのでしょう。
ところで、そんな私が、「きっぱりエイリアン」の映画を平気で見ていたのかということですが、別段臆病な気質を克服しているわけではありません。
けれど、何度かそういう映画など見ていれば、なんとなくわかるじゃありませんか。
「ああ、次で怖いことが起きるな」
「こいつはたぶん、次の場面で死ぬな」
みたいなのが。
この『プロメテウス』、そういう「様式美」「お約束」が基本に忠実に編みこまれておりまして、「凄惨な場面」の事前予測がほぼ完全にできてしまうのです。まるで優秀なカーナビでもついているかのよう。
「こんなところにいられるか! おれは船に戻るぜ!」
ってセリフ、マジでありましたからね。
だからヤバそうだな、と思ったら手元のお茶を呑んだり、靴紐を締めなおしたりできる。下の字幕を読んでりゃ大体わかるしね!
実に親切設計、まるで「水戸黄門」です。ま、実際眼をそむけたくなるほどアレな表現とか、そんなにはなかったと思いますが……。


映画自体の評価としては、退屈はしないものの、個人的に面白いかといえば少々微妙ではありました。
突っ込みどころが非常に多い。「母体からはなれて有機物もないのにどうやって巨大に成長するんだ」とか、「船が大破して墜落したのに、転がっていたアレがそのままの位置なのはおかしい」とか。団長や藍さんの指摘でしたか……。
一見でわかるそういうアラが、そのままになっているのは、「まあ巨匠のやることだから」とよくも悪くも距離を置かれて誰も口を出さない、という構図を幻視してしまいます。
どうしても、すでに名声を得ている大監督のオ〇ニー映画、という印象がぬぐえないんですな。
ただ、私としてはオ〇ニー映画でもよかった。
『ソラリス』だったらどうしよう、なんていいつつ、実のところ私は期待していたのです。長年やってきた路線からはずれて観念的イミフ方向を目指したあげく、大爆死する『エイリアン』を。
何もない白い部屋で、テーブルをはさんでギーガーデザインのあの宇宙生物と黙々とメシをかっくらうだけの二時間を見せられたり、ね(イメージです)。
「これはシリーズの黒歴史だわ」
鑑賞後に酒盛りしつつ、そんな意見に同調しながら、しかし内心でこそりと親指を立てる。
そんな未来に、見る前の私はちょっとだけ期待を寄せていたのです。
ま、ありえませんわな。
宇宙人や怪物の存在を匂わせつつも、宇宙や太古のスケールで風呂敷をひろげて、人間のルーツ的テーマにちょっとだけ絡んでいくような、真にSF的な妙味を、器用さを味わわせてくれれば面白かったんですけどね。
それこそ、「そういうの」を敬遠していた私のようなのを取り込めたでしょうにね。



映画の後は団長に案内してもらって牛タン屋へ。
あちらのクリーチャー系特有のネトネト、グチョグチョを堪能したあとだというのに、みなお構いなく焼きにスープに煮付けと、肉、肉、肉とむさぼり食っておりました。旨い店。
あとに残らないという点では妙技なのかもしれません。スケール大きくえがいているようで、個々の人生のアレコレと結びつくような嫌らしさが薄い感じ。
どこでそう感じたのか、映画の細部を思い出してもちょっとわからないですけどね。
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by sarok | 2012-09-11 10:52 | 雑記 | Trackback | Comments(2)