四畳半東雲蚊帳の内

カテゴリ:東方( 8 )

蜃気楼

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レミリアおじょーさま。

彼女の出演作ではありませんが、東方心綺楼、入手いたしました。萃夢想からの東方スキーとしては、黄昏さんの弾幕アクション、どうにも買わないわけにいかない。
この心綺楼、懸念はひとつ。動くか否か、という点。
これまでの東方ゲームと比べると要求されるスペックが段違いなのです。そもそもオンボードグラフィックは動作対象外。ウチの長閑なノートでは、非常に厳しい。というかほとんど無理ではなかろうか、というのが予測でした。
最悪、動かなければ仕方ないという覚悟。そのうち新しいマシンが買えればいいね、という腹積もりだったのです。
でもって早速やってみました。……うん、重い。激しく重い。
背景画質を最低に、描画を二分の一にして、なんとかストレスなく動かせるようになりました。それでも、スペカやラストワードを使うとスローがかかります。
fps60が基準なのにたまに10台まで落ち込むものね。ギリギリなんでしょうな、いろいろと。
間違いなく対戦はできませんね。……もともとやろうとはしていませんけれども。
にしてもその要求スペック含めて、同人ゲーでこういった水準のものが出てくるってのは大した時代なんだなあ、とあらためて思います。
それに黄昏さんのこのシリーズは、格ゲーとしての快適性、バランス云々よりも、東方世界の設定、キャラクターの能力をシステム的に再解釈する誠実さが楽しい。そこが好きです。
古明地こいしちゃんは無意識で動く妖怪ですが、彼女の能力を再現するための「超反応センス」とは、入力した技がその時点は出ず、相手との戦いの流れでよさげなタイミングで勝手に発動するシステム。それなりに格闘ゲームをやってきた身としては実にぶっ飛んだシロモノです。類例はあるかもしれないけど、思いつかない。んでやってみるとそれが面白いんですな。
こういう挑戦ができるのもいいところですね。今の据え置きゲーはグラフィックやらお金がかかっていて、冒険は難しいですしねえ。


ところで先述のこいしちゃん。
彼女は無意識で行動するから誰にも気づかれず、かの有名な「石ころ帽子」状態なのですが、今回の異変では集まる人気につれて一時的に存在が認知されるに至り、本人もそれを喜んでいる、様子。勝利ポーズで手を振ってアピールしたりしてるしね。
もともと心を読める妖怪だった彼女は、その心をおそれて「目」を閉ざし、結果として意識の外で生きるしかなくなったのです。それでも喜んでいる。本人台詞には「感情なんてない」とありますけどね。
知られたいけど知られたくない。気づいて欲しいけど気づかれたくない。
なんでしょうね。実に根っこのところで、私たちと同じなんだなあ、と思います。
気づいて欲しいアプローチ「だけ」を期待するのは、それは甘すぎる考えだけれど、ままならない有り様を一心に引き受けているみたいで、この少女、なんとも胸苦しくなりますね。


レミリアお嬢様とはまるで関係のない東方のお話でした(笑
にしてもこの雑記。東方に関心ある人なんてほとんど見てないだろうと思うからベラベラ書いてますけども……まあ、たいしたネタバレとも言えますまいな、この程度。
しかしやっと東方タグが機能したな。
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by sarok | 2013-06-01 14:59 | 東方 | Trackback | Comments(0)

黒こま

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黒猫と小町で黒こま。
「頭上の余白は敵だ!」と某方に怒られてしまいそう。バランスの悪い構図をあえてやるオレカッコいい、的な哀れな見本であります。


出勤のたび出くわす猫がいて……という話を、ずいぶん前にここで書いた気がしますが、それから7,8年は経ったろう現在も、彼ないし彼女はつねにあるお家の門柱の上を定位置として、通りがかる私をじっと睥睨しておるのです。
いや、直に目線もくださらないな。気づいてはいるっぽいですが、泰然自若と目を細めて、私をただ臣民の一人あつかいしてくださいます。
(御前、失礼します)
内心そう思いつつ、会釈などして通るのが日常です。あれは絶対自分の方が偉いと思っているに違いない。実際、そのとおりだと思いますが。
たまに立ち止まって恐れ多くも「もふ」ろうとする向きが現れますが、若干嫌がりつつも決して声をあげたりしない。ただ悠然と身を翻すだけです。そして私は、これだけ長く行き違いながら、いまだひと撫でする勇気を持ち得ないでいるのです。
……出会ったときはすでに見かけ成猫でしたから、もうけっこうな歳なんじゃないかと思うんですよね。元気に長生きして欲しいものです。
ちなみにその子は黒ではありません。東方には、人の姿になれる猫の妖怪が二人おりますが、↑はただの猫のつもりで描きました。




花粉、すげーな。もはや笑ってしまうくらいに、症状が劇的です。
どのくらい飛んでるのか? 汚染物質や黄砂は関係あるのか? わからないまま、ティッシュがえらい勢いで減っていくのであります。
アレルギー症状ってのは深く考えると世界から拒絶されているかのようで憂鬱になるので、あんまり頭をつかわないようにしています。鼻をかんでかんでかみまくる。それでいいじゃないか。
しかし年々、マスクをしている期間が長くなりますねえ。冬前からずっとですもん。
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by sarok | 2013-03-10 12:52 | 東方 | Trackback | Comments(0)

急にあったかくなったりそうでもなかったり。妙な塩梅ですな。
今回はまた、渋に貼ったやつのお顔のアップ。

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なんか、丸いお顔になりました。阿求さん。
毎度カテゴリ入力の際思いますが、これで「東方」もないもんだ。

むかしサイトをはじめたばかりのころは、画像をこうやって上げる場合、重くないだろうか、サイズはどうだろうかと細かく気にしたものですけれども。
100kbを超えると回線の細い人が~ってね。
今はあんまり意識しなくなったなあ。まあ、あちこち動画がばしばし貼られる時代ですからね。
ぶろーどばんど、なる言葉ももはや使われないくらい常態化してるわけだし。
しかし昔といっても10年とか、そのくらいなんですよね。いや、めまぐるしいものだ。



昨年末から年明けにかけては、安部公房の『箱男』をじっとり読んでおりました。
筋書きを説明するのは簡単で、ひどく難しい。箱に入った男の話。
以前テレビで某番組のやった企画は、これが元ネタなんだろうか?
昭和48年刊行ですから、時代の隔絶を感じるかというと、そうでもない。というよりも、そういう問題じゃあない。
おっそろしいもの書く人だなあ、と思いました。
われわれは日々、ものを見ているようで、実のところは凝視することはなく、むしろ殆どの物を「見ないようにして」やり過ごすことで、自分の社会的輪郭を保つのだと。
なぜなら見ることは見られることであり、ただおのれ一人きりの存在としての面貌を突きつけられれば、変化せざるを得ない――蛹からの羽化みたいに不可逆で容赦の無い階段を、とぼとぼ上るしかないのです。
一人、深夜に職場の休憩室なんかで読んでいると、「知らないフリ」をしていたその事実に、心を鷲掴みにされるのです。
でも切ない。なんとも切ない。
「ぼくが箱から出るかわりに、世界を箱に閉じ込めるのだ」と勇んであけた「彼女」のいるはずの部屋のドアの向こうに広がるのが、駅の裏手に這入りこむ薄暗い裏道で、突き当たりにはつくりかけの橋のコンクリが風にさらされている、というラスト。
凝縮されたさみしさと、かすかな安堵を私は感じました。結局それなんだなと。彷徨の果てにたどりつくのが、そういうものであることに、納得というか、共感してしまうのです。
潜在的箱男は、発表後40年ばかり過ぎた今もあちこちにいることでしょう。箱のうちに吊るしてあるのがラジオじゃなくって、ケータイやスマホになっているのが、せいぜいの違いでしょうか。
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by sarok | 2013-02-03 10:22 | 東方 | Trackback | Comments(0)

キタテハ

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雪の日から、たらたら描いていた幽香さん。
別に厚塗りっぽい感じにしたいんじゃなくて、一枚レイヤーでの描き方を考えているのですが、もそっとシンプルにしたいところですね。
まともに絵をやってるわけじゃないから、陰影とか、ちょっと凝ろうとすると恥をかくことになる。
それはまあ、いいんですけどね。好きなようにやらなきゃ意味がない。


近頃は年齢のせいか、若い女の子の顔の区別がつかない。テレビのタレントとか、何度見たってどこの誰とも覚えられないのです。
ただそれは、昔からだったようにも思うのです。記憶力の関係というより、あんまり顔自体に興味がない。
と、いうことに気づきました。
整った顔とか、そういうのがわかったとして、それが好みなのかというとそうでもない感じ。
顔だけじゃなくって、体型なんかも。胸のかたちとかお尻とか、フェティッシュに尖った嗜好を自分の中に見出せない。
じゃあ、おんなのひとの見た目に関心がないのかというと、絶対そうじゃない。長い髪も短いのもどっちもいいし、ぽっちゃりもほっそりも好きだ。
つまらない、俗物なのだなと思います。これが、郵便受けの隙間から見た女体が最高なんだよ! みたいに突出していれば面白いのになあ。ギリギリですが。
まあ俗物だとしても、悪いことではない、でしょう。
ただし、女の子のイラストをやったりすると、正直閉口するのです。ペンタブを握ってPCにむかっていても、最前線に指令がこない。ここのところ、どうしたいのか、どう表現したいのか、そういうのが貧弱すぎる。
そのうちしゃしゃり出た脳内第三者が、愚にもつかない客観的視点とかいうやつで、このぐらいならまあまあじゃないの? ぼちぼちでんな、となだめて、居もしないオーディエンスの平均値に落ち着いて、なまぬるく安心するわけです。
悪癖ですなあ。
何が言いたいかといえば、上の幽香さんのお胸を塗っているときは、常に無く楽しかったぞと。
インターネットで陰影の「資料」を探すのも、同じくね。
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by sarok | 2013-01-20 09:46 | 東方 | Trackback | Comments(0)

よいお年を

身辺でノロが流行りだしている予感。悪寒。
もう、ビビリまくってます。ハンドクリームで後追い補修をしつつ、手洗い手洗い。
一日に一度もノロという単語を思い浮かべなかったことがない。これはもう恋ですな。
いや、我ながら情けないとは思うんですがね。でも、ちょっと前に、やっぱり胃腸炎をやって、ノロはこんなもんじゃ済まないよ、と医者に脅しつけられた身としては、ビビッてもしょーがねーじゃん、という気持ちなのですよ。


ところで、世界って滅亡しなかったんですねー。トレーニングが無駄になったわー。
世界は滅びず、リア充も爆発しない。そんな根の暗い日記を書こうかと思っていましたが、5日ばかり遅いね。
でも、我らボッチ族の恨みを一手に引き受けるクリスマス(笑)ではありますが、ツリーが立ってイルミネーションが灯り、サンタ帽の売り子がケーキを並べるのは、せいぜいが一、二週間といったところ。
あとにお正月が控えているから、25日を過ぎれば飾りつけなんかもすぐ外されちゃうしね。
昨日までサンタの形に点灯していた商店街のイルミネーションが、お正月飾りに変わっているのを目にすると、なんとなくちょっと寂しくもなります。
宗教的背景が薄いのは確かだし、商業的アレコレもそりゃ、あるだろうけどさ。
気持ちを伝える、親しみを確かめる。
そういうのって日々さりげなく、日常的にやるのがいいと思うけれど、特別の日という節目に後押しされないと勢いのつかない、硬直した手足の持ち主は一定量いるわけで。
いい夫婦、いい家族、いい恋人……これからも、クリスマスが価値ある一日であればいいんじゃないですかネ。
ところで、恋人たちの日、みたいに特化した部分は、本場欧米の人たちから見れば奇妙ではあるようですが。
クリスマスの習慣なんて、程度の差こそあれ世界中に広がってるわけで。たぶん、何世紀もあとになれば、地域ごとのクリスマス、というものの内容は、今以上に隔たっているんじゃないですかねえ。
故国を救った英雄と化すサンタもいるかもしれない。極悪人として、炒った豆を投げられるサンタもいるかもしれない。
日本は……そうですね、きっとミニスカコスのツインテ美少女になってるんですよ。
……もうなってるか。





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なんとなく描いたルーミアさん。
最近、ブログ機能のプレビュー画面で、画像が表示されないバグ? があるもので、まともにアップできているか、投稿するまでわからんのですが。

レイヤーというものがいまだ使いこなせない惰弱であります。これはもう統一して一枚で塗ってますけど、出来はともかく一番しっくりくる。相応デジタルでラクガキ、してきてるのにねえ。
ビデオデッキが使えない、と親父に相談されたりした折には「なんで?」と思ったもんですが、おんなじことですわなあ。


てなところで。おそらく今年最後の更新でしょう。
だらしないブログですが、見てくださってありがとうございます。
つーか今冬コミか。出撃されている方は頑張って!
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by sarok | 2012-12-30 10:11 | 東方 | Trackback | Comments(0)

のぼっていく先の

新しい大河の『平清盛』を見る。
うーん。継続して見るべきか判断がつかない。
ということはまだしばらくは見ることになるのでしょうけども。

このたぐいのドラマでいつも思うことですが、歴史の人物に、並行して現代的視点を背負わせるのはどうなのよ、と。
当時のもののふが、己が服にしみついた血の匂いを、ことさら思い悩んだりするものですかね。
しない、とはいえない。己の生き様について、いつの時代も胸に問わない人はそうそう居ますまい。
でもなんというか、彼らが照らし合わせているのが「当時の」日常感覚だったり、倫理観ではないように思えるんだなあ。
ドラマだから、そういう作り方もアリだとは思うのです。見る人が這入り込みやすいしね。
でも、その時代の人にも追い求めていた空というものがある。
年末にやっていた『坂の上の雲』でくりかえし用いられたフレーズですけど、一筋の雲を追いかけてどんどん上っていく。その生き様をこちらもただ見ていたい、私はそう思うのです。
こちらを振り返ってほしくない。これは善か悪か? といちいち目で問いかけてこないでほしいのです。
その生き方は現代的な倫理観では問題があるかもしれない。けれど、土のついたままの生き方をまるごと感じることから、大いに学ぶことがあるような気がするのです。
というより、今の私がただそういうのが見たいというだけかな。探せばあるだろうにね。



もはや年始の習慣? とも化している高尾山詣でに、先日も行ってきました。
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山々のグラデがうつくしい。
年始と書きましたが、最初に行ったのは2月でしたね。そのあとは5月とかも。
ただ、いつ行っても人の多い山なんで、このぐらいの季節がいちばんいい気がするんですな。
真夏はわからないけど、紅葉のシーズンなんて相当なものでしょうけどね。
気軽にいける山を、他にも開拓したいところですが、ちょっと調べてもなかなか難しい。
車があればね。
ところで下山途中、たいていいつも通る裏道が、たいそう荒れていました。
あちこちで木が倒れて道がふさがっているのです。
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こんな感じ。こういう場所が、いくつもあるのです。
写真だとそう大きく見えませんが、私が幹に手をついてようやく跨げるくらいの立派な木です。
そういう木が、根っこを天にむけてひっくり返ったりしているのです。
何度も跨いで、くぐって、ようやく降りてきました。
ちゃんと道の入り口に注意書きもありましたね。なんでしょう、去年の台風の影響だったりするんでしょうか。
でも、そうやって倒れていても、木の肌というのは温かみがあるものなんですね。
枝についた葉はまだ緑で、生きているとも死んでいるともいえない状態なのかなと思うと、いささか不思議な気分でした。
まともに立っていれば届かないだろう幹に触れられるというのも貴重に感じて、ごつごつした表面を、何度も手で撫でてきたのです。
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by sarok | 2012-01-18 23:53 | 東方 | Trackback | Comments(0)

これでカテゴリ東方もないもんだ

ぺたり。
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ウドンゲさんが辛うじているだけじゃないかと。
空の塗り方をちょっと試していたのです。これもそうだし、更新したトップ絵も同じく。
楽なんですが、いかにも楽そうに見えるところが問題だ(笑
トップ絵の方は、確実に誰だかわからないと思いますが、栞さんです。
おんなのひとに平仮名で「……ばか」って言われるのはドリームですよね。
漢字だったりローマ字だったり言葉にならない叫びだったりすることの方が多いわけですが。


そろそろサイトが〇周年のはずで。さていくつだっけ。
サイトのおかげで、たくさんの出会いがありました!
などと書けばアヤシイ広告じみていますが、実際そうでしたね。
同人イベント、オフ会。ネットがなければ、はこの場合無意味な仮定ですけど、およそ私一人の馬力でそういったところへ出ていけたとは、到底思えません。
振り返ればやらかしてばかりですけどね。
過程をはぶいて一足飛びに仲良くなろうとしたり。
やたらと自分を大きく見せようとしたり。
逆に卑屈になってみたり。
いじいじ。
はらはら。
こそこそ。
……。
不義理をはたらき、ところによっては逃げ出し、開き直る。
恥ずかしがってばかりの恥知らず。
うむ。
なんというか痛感するのは、自分で考えている自分のかたちや大きさというのは、つくづくあてにならない、ということであります。
ちっぽけな自分と思っていても、子供から見れば大男で怖かったりするみたいにね。
評価というのはそういうものなんですよね。
本当に有難いことです。多謝っ。



トップに関連しますが栞さんの短い話を書いてます。
またもオリキャラが幅をきかせる予定。うむむ。
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by sarok | 2012-01-12 14:20 | 東方 | Trackback | Comments(0)

三輪車

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pixivにあげたやつの別バージョン。
こういうタッチの絵こそ、要所をきちんと締めないといけないわけですが、どうにもズボラに楽な方へ流れて毎度仕上がりがグダグダです。
が、しかしやっぱこういう感じは好きですね。好きならもっとちゃんとやれって話ですが。
オート三輪。なつかすぃ。
私の子供時代にはちらほら見かけたものです。横転しやすいから、というのも廃れたひとつの理由のはずですが、今の技術なら横転しにくい、四輪と遜色ない走行性能の三輪自動車を作れるんじゃないだろうか。
まあそんなこと言っても、採算があわないからメーカーが作るわけがないですけども。
所有なんて無理だけど、いっぺん運転してみたい気もしますねえ。振動とかすごそうだ。


先日実家から電話があり、なにごとかと思えば某NHKの「ガッテン」を見ろ、との仰せ。
私は高校あたりから急にお腹が弱くなり、牛乳も飲めなくなって、以降改善することなく現在に至るわけですが、己の症例はたぶんこれだろうな、と目星をつけていた過敏性腸症候群の特集だとか。
ひととおり見て思ったのは「うん、けっこう判ってた」ということでした(笑)。いや知識としてあったわけではなく、ただ長年自分の身体の反応とつきあってきてなんとなくこういうことだろうな、と対処していた方向は、あながち見当はずれでなかったと。
ただしおおよそ不徹底でありました。とどのつまり、なにか食べるとそこからガスが異常発生するから結果として大腸に負担がかかる、というのは予想どおりでしたが、番組によればそれは本来大腸で活動している腸内細菌が、風邪など抵抗力が落ちた際、小腸にて活動をするようになったゆえに起こることなんだそうで。
で、その対処を一言でいえば「食うな」ということになります。
正確には、食べたあとで間をあけろ、ということです。小腸の免疫力はもともと高いので、「兵糧攻め」をすればおのずと細菌が減って症状が改善する、という理屈なんですな。
何か重要な用事のあるときは事前に何も食べない、というのはよくやってましたけど、普段の生活では間食も多く、甘い飲み物やコーヒーで食間をなぐさめることも多かったですからね。
ということで早速、食事そのものの量を若干増やして、そのあと水とお茶だけで八時間ばかりあけてみる。
これが意外と効果がありました。まあ長年の持病だし、すぐよくなるようなものではないですけど、食後にお腹がパンパンになって胸焼けするような事態が、だいぶ減ったように思います。
間食をしないというのも、そんなに辛くはない。
ただ、一食のウェイトを増やしたためか、なんだか胃袋に与える負担が大きいような気がする。空腹時にお腹がすくというより、胃のあたりが熱をおびるような印象もある。
要研究ですな。
さておき、「ガッテン」には感謝しているものの、食後八時間以上あけてみよう、という結論が出てくるまで、えんえん40分ばかり茶番がつづくようで、なんだかなあと思いました。それ言っちゃうと番組が成り立ちませんが(笑)、引っ張ったあげくがそういう対処なのね、と思ったものでして。
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by sarok | 2011-12-18 11:22 | 東方 | Trackback | Comments(0)