向かい風
トップを変えようかなーと思いつつ、ひとまずこのまま。
SSの再アップも滞っております。昨日からそのあたりの作業をちょいちょいと進めるつもりでしたが、昨夜散歩に出て以来全身の倦怠感がひどくて、とりあえず延期。
風邪とかではなくって、ここ一週間ばかり食生活が特に乱れていたせいだろうと思いますが。無闇に食って、徐々に復活しつつあります。
やっぱり米だけじゃダメね。たんぱく質重要。
睡眠不足だの、肉体がひどく疲れているのに、自覚のないときがたまにあります。週に一度くらいは長めの散歩をするようにしているのですが、そういうとき不意に疲れが顕在したりする。ブラブラ三十分ばかり歩いたところでいきなり力が抜けたようになって、山登りでもしたように膝がふるえてきたり。
で、思い返すとあーろくなもの食ってなかったな、と気づいたりするのです。いけませんね。
そういう散歩は概ね夜で、しかもたいてい妙な冒険心を出して見知らぬ路地をどんどん進んでいたりするものだから、都会とはいえど少々焦ります。大通りやら駅やらに戻ろうとするも、思いのほか見当違いの方向に進んでいたりして、矢鱈と時間がかかってね。
まあそういうのが、楽しいわけでもありますが。
しかし昨夜は風がすごかった。へろへろの状態で歩いているのに、台風並みに吹き付けてこられたのでは堪らない。「退かぬ!」と意気込みだけは拳王のように滾らせてみましたが、コートの裾も風を受けるし、押される押される。
まあそういうのも、楽しいわけなんですけどね。
前の日記に書いたコトについては、割と大きな騒ぎになっているみたいですね。
現実の悲劇や問題について、何もするなと思うわけではありません。
でも鬼退治をするなら、勇気を奮って鬼が島へいかないと意味がない。鬼の描いてある絵を破って得意になってみたところでなんの解決にならないと思うワケです。
人がみな、暗黒面をかかえているのかどうかは、決め付けることはできないでしょう。
ただ思うのです。一連のこの種の運動の持っている本質は、人の持つある側面を「有害」「不健全」と選別し、それを捨てた「ことにして」ひとときの安寧を得る、「まじない」みたいなものじゃないかと。
厄を移した人形を川へ流したり、火に投じたりするようにね。
そうして、悲嘆や狂気や暗闇から自由になれるのでしょうか?
問題は、表現規制を「まじない」だとして推し進めている連中はいないということです。「まじない」には人は後ろ暗いものだ、弱いものだという謙虚がある。なのに魔女狩りが正義と信じている人は、暗がりを切り捨てさえすれば一足飛びに神にでもなれると思い込んでいるふしを感じる。
……エラソーに書いてますけど、自分の暗闇を見つめるのは確かに怖いよね、とは思います。
ましてそれを冷静に創作のたたき台にするのはねー。出来るようになりたいとは、思いますけれども。
SSの再アップも滞っております。昨日からそのあたりの作業をちょいちょいと進めるつもりでしたが、昨夜散歩に出て以来全身の倦怠感がひどくて、とりあえず延期。
風邪とかではなくって、ここ一週間ばかり食生活が特に乱れていたせいだろうと思いますが。無闇に食って、徐々に復活しつつあります。
やっぱり米だけじゃダメね。たんぱく質重要。
睡眠不足だの、肉体がひどく疲れているのに、自覚のないときがたまにあります。週に一度くらいは長めの散歩をするようにしているのですが、そういうとき不意に疲れが顕在したりする。ブラブラ三十分ばかり歩いたところでいきなり力が抜けたようになって、山登りでもしたように膝がふるえてきたり。
で、思い返すとあーろくなもの食ってなかったな、と気づいたりするのです。いけませんね。
そういう散歩は概ね夜で、しかもたいてい妙な冒険心を出して見知らぬ路地をどんどん進んでいたりするものだから、都会とはいえど少々焦ります。大通りやら駅やらに戻ろうとするも、思いのほか見当違いの方向に進んでいたりして、矢鱈と時間がかかってね。
まあそういうのが、楽しいわけでもありますが。
しかし昨夜は風がすごかった。へろへろの状態で歩いているのに、台風並みに吹き付けてこられたのでは堪らない。「退かぬ!」と意気込みだけは拳王のように滾らせてみましたが、コートの裾も風を受けるし、押される押される。
まあそういうのも、楽しいわけなんですけどね。
前の日記に書いたコトについては、割と大きな騒ぎになっているみたいですね。
現実の悲劇や問題について、何もするなと思うわけではありません。
でも鬼退治をするなら、勇気を奮って鬼が島へいかないと意味がない。鬼の描いてある絵を破って得意になってみたところでなんの解決にならないと思うワケです。
人がみな、暗黒面をかかえているのかどうかは、決め付けることはできないでしょう。
ただ思うのです。一連のこの種の運動の持っている本質は、人の持つある側面を「有害」「不健全」と選別し、それを捨てた「ことにして」ひとときの安寧を得る、「まじない」みたいなものじゃないかと。
厄を移した人形を川へ流したり、火に投じたりするようにね。
そうして、悲嘆や狂気や暗闇から自由になれるのでしょうか?
問題は、表現規制を「まじない」だとして推し進めている連中はいないということです。「まじない」には人は後ろ暗いものだ、弱いものだという謙虚がある。なのに魔女狩りが正義と信じている人は、暗がりを切り捨てさえすれば一足飛びに神にでもなれると思い込んでいるふしを感じる。
……エラソーに書いてますけど、自分の暗闇を見つめるのは確かに怖いよね、とは思います。
ましてそれを冷静に創作のたたき台にするのはねー。出来るようになりたいとは、思いますけれども。
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